ディランはそのキャリアの間に、何度もブーイングされました。
ノーベル文学賞の受賞が決まった時も、例外ではありませんでした。
作家の中には、シンガーソングライターが受賞するなんて我々に対する侮辱だ、とまで言った人もいるらしいですね。
紙に書かれていない詩は、詩ではないとでもいうのでしょうか。
ノーベル賞の選考委員までが一部ブーイングを始めました。ディランが呼びかけに答えないというので。
ディランが無礼で傲慢?
「せっかくノーベル賞をやるって言ってるのに有難がらないとは許せない!」
なんて反応をするのだったら、ノーベル賞こそずいぶんと傲慢になったものです。
サルトルが授賞を拒否したのは傲慢ではないけれど、ディランが応えないなら傲慢になるわけ?
どっちにしても、ディランはブーイングされないわけにはいかないでしょう。
受け取っても、受け取らなくても。
それだったら、もらっときゃいいのに。
今回ディランが受け取らなかったら、ノーベル賞は、再び文学の定義を狭めてしまう可能性もあります。いわゆる「文学者」意外を選ぶのは、危険だということになって。
だって、毎回拒否されるわけにはいきませんから。
だから、もらっときゃいいのに。
ただ、「無礼で傲慢」ではない選考委員が言っているように、このようなディランの反応は全く彼らしいものであり、予期できるものでもありました。
だから、無理はしないで、好きにすればいいさ。