異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

2016年10月

ディランはそのキャリアの間に、何度もブーイングされました。

 

ノーベル文学賞の受賞が決まった時も、例外ではありませんでした。

 

作家の中には、シンガーソングライターが受賞するなんて我々に対する侮辱だ、とまで言った人もいるらしいですね。

 

紙に書かれていない詩は、詩ではないとでもいうのでしょうか。

 

ノーベル賞の選考委員までが一部ブーイングを始めました。ディランが呼びかけに答えないというので。

 

ディランが無礼で傲慢?

 

「せっかくノーベル賞をやるって言ってるのに有難がらないとは許せない!」

 

なんて反応をするのだったら、ノーベル賞こそずいぶんと傲慢になったものです。

 

サルトルが授賞を拒否したのは傲慢ではないけれど、ディランが応えないなら傲慢になるわけ?

 

どっちにしても、ディランはブーイングされないわけにはいかないでしょう。

 

受け取っても、受け取らなくても。

 

それだったら、もらっときゃいいのに。

 

今回ディランが受け取らなかったら、ノーベル賞は、再び文学の定義を狭めてしまう可能性もあります。いわゆる「文学者」意外を選ぶのは、危険だということになって。

 

だって、毎回拒否されるわけにはいきませんから。

 

だから、もらっときゃいいのに。

 

ただ、「無礼で傲慢」ではない選考委員が言っているように、このようなディランの反応は全く彼らしいものであり、予期できるものでもありました。

 

だから、無理はしないで、好きにすればいいさ。

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ロックの詩学というものがあると思います。

(もちろん、ディランはロックというジャンルでくくってしまえるアーティストではないし、そもそもフォークから始めたわけですが。)

デイランの歌詞でも、ビートルズの歌詞でも、改めて読んでみると、「これは20世紀最上の詩の一つだ!」と感嘆することがあります。

あるいは、一見単純に見える言葉が、音楽やリズム、声に乗ることで、詩となることもあります。

ただ、良い歌詞を書けば、才能があれば、誰でも受賞できるというわけでもないでしょう。

ディランの詩が一貫して、どのように社会と関わり続けたか。そのキャリア全体に対する、惜しみない賞賛と感謝の印、それが今回のノーベル文学賞だと思います。

だからやっぱり、ファンの一人として、「おめでとう」と、ディランにも言いたいのです。

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ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、おめでとうございます。
と私が言いたいのは、選考委員の方々に対して。

ノーベル賞が、生き生きとした価値あるものとして、今後も信頼を保つために、遅すぎない決定でした。

ボブ・ディランのファンの中には、反体制の巨星が、受賞によって、体制の中に片付けられてしまうのではないかと心配する人も多いかもしれません。

でも、今アメリカで起こっていること、世界で起こっていることを考えた時、ディランが受賞する意味は大きいでしょう。
ニュースでは、ミュージシャンとかシンガーソングライターとばかり報じられています。

もちろんそれは事実です。

でも、それだけじゃない。彼が創る歌詞の文学的価値に感銘を受けた人も多く、本として出版された歌詞を「読んで」いる人は昔からいました。

2004年に発表された自伝も評価が高く、本国アメリカだけでなく、当時私が住んでいたヨーロッパでも評判になっていました。

自伝によって、人々は彼の文学的才能を再確認していたという感じ。

それでも、フランスのメディアを見ると、「意外な文学賞」という言葉も並び、少しじれったい思いがします。

そもそも、最初の詩というものが、書かれたものでなく、語られたもの、歌われたものであるなら、デイランこそ正統派詩人ということもできるかもしれません。

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医学・生理学の分野で3年連続の受賞となった日本。
今回の大隅教授も、前回の大村教授も、研究のための研究はしないとおっしゃっています。そのヒューマンな姿勢にも感銘を受けます。

科学者たるもの、自分の研究が何にどう使えるのか、または使われてしまう危険があるのか、考えるべきだということでしょうか。
 
さて、日本が過去にどのような分野でノーベル賞を受賞しているか見てみました。 ウィキペディアによれば、物理学賞11人、化学賞7人、生理学・医学賞4人、文学賞2人、平和章1人、経済学賞0となっています。

大きく分けると、ほとんどが自然科学系の受賞で、人文科学系は自然科学系の9分の1にも満たないことになります。

理由は、色々考えられるでしょう。 かつては、日本文学があまり翻訳されていなかったこともあったでしょう。

いずれにせよ、ノーベル賞だけで、その国の文化の質が測れるわけではありません。

とはいえ、これだけ差があると、何が理由だろうと考えたくなります。

ノーベル賞と教育の効果というタイトルで4回連続で書いてきましたが、最初の回で引き合いに出したフランスを例として見てみましょう。

ウィキペディアを見てざっと数えてみたところ、自然科学の分野で31回、人文科学で26回。そのうち文学では、受賞を拒否したサルトルや、中華人民共和国出身の高行健を入れて、15人です。

ちなみに、フランスの人口は約6600万人。

フランスが最初に受賞したのは第一回のノーベル賞で1901年。つまり明治34年でした。日本は鎖国を脱したばかりで、それどころではなかったか。日本で最初の受賞者が出たのは1949年のことです。

ちなみにアジア初の受賞者はインドの詩人タゴールで、1913年。

ノーベル賞に関しては、中南米やアフリカ、中近東諸国も欧米より出遅れています。当初は欧米中心だったという仮説も立てられるかもしれません。

とはいえ、私が知りたいのは、なぜ自然科学系に比べて、日本では人文科学系の受賞が少ないのかということです。

1994年に受賞した大江健三郎さんの文学が、他のノーベル賞受賞者と比べて全く引けを取らないのは確かです。

世界をうならせる文学者や哲学者が、どうして今の時代にもっと出てこないのか。

国によっては、自然科学では一つもノーベル賞がなく、人文科学でだけ受賞している場合もあります。

そう考えてくると、日本では、必ず何かの役に立つことが優先されてきたのではないかと思い当たります。

自然科学の研究は、少なくとも(遠い)将来、私たちの生活、生命に目に見える形で関わってきます。 文学や哲学は、一見したところでは、そうではないように思えます。

でも、それは本当でしょうか。 癌の研究は進み、早期であれば治る可能性が高くなりました。

それでも、私たちの社会の自殺率は減りません。

人が一人、せっかくの健康な身体を自ら殺めたいと思うとき、寄り添ってくれるのは、文学や哲学、音楽、アートでしょう。

文学者や哲学者で自殺する人もいます。それは、彼らが探求のあまり、危険な深淵に近づきすぎたからではないでしょうか。

私たち読者は、安全な場所にいながら、彼らが命の危険を賭して収穫した果実を、心の糧とすることができるのです。

ノーベル賞の人文系には、経済学賞と平和賞も含まれています。

今日本では、経済学や法学も実社会ですぐに役立たない学問と見做され、大学は改革を求められているようです。

そういえば、今回受賞した大隅教授を始め、著名な科学者が口を揃えて言うのは、「今の日本の科学界は、すぐに結果の出ない基礎研究をおろそかにしている。」ということです。「このままでは将来日本人のノーベル賞受賞はなくなるだろう。」と。

日本の大学教育は、ヤバい方向を向いているのではないでしょうか。

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20年30年先の日本の科学界を考えるとき、心配になる要因は他にもあるそうです。

それは、若い研究者が海外に行きたがらなくなったことだとか。

理由は、帰ってきたときに居場所がなくなるからだそうです。

他の国と比べた日本のレベルも高くなり、海外に行くことが、そんなに重要ではない場合もあるでしょう。

また逆に、ある国のある研究所に行くことが、その後を決する場合もあるでしょう。


その分野で一番前を走っている先生に付いて勉強することができたら、学生として最高ですね。また、様々な国々から集まった優秀な人々と交わり、高めあうことは、研究者としてこの上もなく幸せなことでしょう。

そして、海外で経験を積んだ仲間を再び迎えることは、他の研究者にとっても、すばらしい刺激となるはずです。

明治時代のように、「洋行帰り」をやたらとありがたがる必要はありませんが、鎖国をする必要も、またないでしょう。

スポーツの世界では、強い野球選手が大リーグを目指すのが当たり前になり、アメリカにテニス留学した錦織選手がテニスファンの夢となり、スロバキアで学んだ羽根田選手がオリンピックで銅メダルを取っています。

海外に骨を埋める覚悟までせずに、気楽に出られるといいですね。

冒険と地道な研究。その結果は、今日明日には出なくても、必ず目に見える形で表れるはずです。

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