異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

2018年02月

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ウディ・アレンの初期の映画に数多く出演し、私生活でもパートナーだったダイアン・キートンが、ツイッターでアレンを擁護しているそうだ。

彼女は、アレンは友達であり、友を信じ続けると書いている。 

彼女が根拠としているのはアレン自身の1992年のインタビューである。
60分にわたるこのインタビューは信憑性があるというのが彼女の意見なのだろう。

汚名を着せられた友人の味方をするのは素晴らしいことだと言っていいだろう。

もしかすると、本当に彼女が信じる通りなのかもしれない。

が、今回何が真実かは別として、一般的には味方をするばかりが友情ではないとも言える。

友達が本当に悪いことをしたら、きっとものすごく悩むだろう。

校則を破っちゃったとか、未成年なのにタバコを吸っちゃったとか、学校をサボっちゃったとかいう話ではない。
本当に他人を傷つける犯罪の場合である。

もう友達じゃなくなるか、かくまうか。
あるいは自分が見たいものだけを見続けて、真実には目を覆うか。

いや、友達であり続けながら真実を見つめることもできるはずだ。

友人が罪を認めるのに付添い、罪を償うのを手伝うことも。

こう書くと、子どもが自首する時に親が付き添う場合が思い出される。

家族と友達は同じではないが、家族と同じくらいに、あるいはもっと強い絆で結ばれた友達もいる。

私たちは、親にばかり育てられるのではない。

友達にも、パートナーにも、そして子どもにも育てられる。 

信じるばかりが能じゃない。 

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公私共にパートナーの関係にあったミア・ファローとウディ・アレン。
二人は結婚していたわけではなく、始終一緒に暮らしていたわけでもない。

一緒に暮らすのは大変だと思ったのかな。
経済的に一緒に生活する必要はなかったわけだし。
子育てを分担するにしても、いつも一緒に暮らしていなければできないということはない。
もちろん、ベビーシッターなどを雇う財力もある。 

ファローが前の夫と養女にしたスン・イーとウディ・アレンの浮気。
すぐに発覚しなかったのも、いつも一緒に住んでいたわけではないからだろう。

アレンは、スン・イーとは最初は遊びのつもりだったが本気になったと語っている。
後に二人は結婚し、養子を迎える。

アレンに性的虐待を受けたと訴えているのは、当時まだ幼かったディラン・ファロー。
この時アレンとミア・ファローは親権争いの真っ最中だった。
そのせいで、復讐に燃えたファローのでっち上げ説が囁かれた。

ところで、カップルが壊れてなくて、まだ運命共同体でいるときに同じようなことが発覚したらどうなるのだろう。

もみ消される場合も多いのではないか。

性的虐待に限らず、肉体的暴力や精神的虐待。

経済的に一緒に暮らす必要がある場合、声を上げられない被害者や家族も多いのではないか。

アレンの場合は、虐待の疑い以前に、養女に無理矢理自分の親指をしゃぶらせるなど妙な行動が見られたため、セラピーを受けていた(受けさせられていた?)という話もある。

ミア・ファローがアレンにセラピーを勧めたとすれば、ミア・ファローは当初は彼を見捨てずに子どもを守ろうとしたということになる。

仮にそうだったらの話だが、それはとても難しいことだと思う。

そして、そのような難しいことをしているのは、有名人だけではないだろう。


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ミア・ファローとの関係が破綻した後も、ウディ・アレンは毎年のように映画を発表し続けた。
ファローの方も、女優として活躍するばかりかユネスコの親善大使となるなど、精力的に活動している。

ただ、かつて話題作に出演していた彼女にしては作品に恵まれていないような気がする。
「作品はともかくとして彼女の演技はすごい。」みたいな評価はあるようだが。

ウディ・アレンは、 別れた後の1993年にも、女優としてのミア・ファローを褒めちぎっている。

自分たちの食い違いは私生活でのことで、演技者としての彼女については良いことしか言えない、
彼女はとてもクリエイティブだ、
彼女はハリウッドで過小評価されている、もっと評価されるべきだ、などなど。

これは感情的な言葉ではなく、映画人としての客観的な評価なのだろう。

個人的にこじれてしまうと、客観的なことを全く言えなくなってしまう人もいる。

アレンがファローのことを掛け値無しに褒めているのを読むと、少しホッとするというか、逆に涙が出てきてしまう。

この発言からすでに時はたち、今彼が同じことを言うかどうかはわからないけど。

最近彼の友人が彼について本を書き、その中では、「彼は性的虐待などしたことはない」という長男の言葉が引用されているらしい。

これから何が起ころうと何が明らかになろうと、私はやっぱり二人が一緒に創った映画を見るだろう。 

MeTooムーブメントが前進であることは間違いない。
しかし前進とは、必ずしも楽しくはない。
私たちは、泣きながら歩いていく。 


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前にも書いたが、ミア・ファローは1980年代にウディ・アレンと出会う前から女優として高い評価を得ていた。

ウディ・アレン監督にスターにしていただいたわけではない。

1960年代の終わりから70年代にかけて、『ローズマリーの赤ちゃん』『ジョンとメリー』『華麗なるギャッツビー』などの話題作に出演。
忘れ得ない印象を残している。
舞台女優としても活躍している。

ウディ・アレンと一緒に仕事をするようになってからも、ある時はコミカルな美女、ある時は色気ゼロの女、ある時はおバカ、またある時は誠実な精神科医と、演技力を発揮した。
役柄の幅は広いが、器用という感じはしない。
何でも徹底的にやるので、つい引き込まれる。
シリアスな『セプテンバー』で感情を爆発させる時など、心を踏みつぶされた少女のように見え、胸を突かれる。
全ての役柄で説得力があるのはさすが。

アレンはさぞかし重宝したことだろう。 

が、彼女の作品として私が一番好きなのは、 1972年の『フォローミー』という小品である。
堂々たる名作でもないし、話題作でもない。
佳品というのが相応しい一粒の真珠のような作品。

元々は舞台作品で『パブリックアイ』というタイトルだったらしい。

監督は『第三の男』や『堕ちた偶像』で知られるキャロル・リード。
『第三の男』で音楽が印象的だったように、『フォローミー』の音楽も耳に残る。

共演は『屋根の上のバイオリン弾き』のトポルで、とてもいい味を出している。

以前の記事で、ウディ・アレンは若い女性に色々教え込むのが大好きなんだろうと書いた。
奇しくもこの映画のヒロインは、夫が先生ぶるのにウンザリしてしまった女性。 

愛に溢れたエンディングで心が暖まる。  

これからも、作品に恵まれてほしい。


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ウディ・アレンの養女に対する性的虐待が問題となる中で、それでも彼の作品だけは素晴らしいという意見はよく聞く。

それに対して、養女の母であるミア・ファローの女優としての素晴らしさについては、日本やフランスではあまり語られていないように思う。
私が知らないだけかもしれないけど。

ウディ・アレンが告発されると、ミア・ファローもさんざんなことを言われた。
母親が子どもを洗脳してありもしない話をさせたとか、彼女の方こそ養女や養子を虐待していたとか。

外野の私たちには、何が本当なのかわからない。

ウディ・アレンの性的虐待に対する告訴が取り下げられた一方で、 親権を争う裁判ではミア・ファローが勝訴。

養女は養父から守られる必要があると判断され、ウディ・アレンは娘に会うことができなくなったらしい。

このあたりのことは、彼の映画(確か『ミランダ、ミランダ』だったと思う)にも出てくる。

映画の中では、不倫をした女性が裁判に敗訴し、子どもと会えなくなるという設定だった。
女性は、不倫をしたのは事実だが子どもと離れるつもりはなかったと嘆き悲しむ。
すると誰かがこう言う。

「お子さんが大きくなったら、自分とお母さんを引き離した父親を、逆に恨むようになるでしょう。
お子さんはいつかあなたのところに戻ってきますよ。」

しかし、アレンの実人生の中ではそうはならず、成長した養女は新たに彼を告発した。


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