ヨーロッパに住んでいた時、国際結婚のカップルとその子どもたちに大勢出会った。
ヨーロッパの別の国同士、北米、南米、アフリカなど。
その子どもたちは、成人した後も母親の国籍と父親の国籍の両方を持っていた。
カップルの一人が日本人の場合はそうはいかない。
日本は原則として複数の国籍を認めていないが、親が申請すれば、子どもたちは22歳までは二つの国籍を持つことができる。
そのあとはどちらかを選ぶよう迫られる。
日本以外にも複数の国籍を認めない国はあるが、下を見ればキリがない。
ヨーロッパには、二つどころか国籍をたくさん持っている人もいる。
「今度の旅ではどのパスポートを持っていくのがいいかな」と思案する。
中には国籍を一つも持っていない人もいる。
日本でも国籍どころか戸籍も持っていない人がいて、その救済策が急がれるところだが、それとはまた別のケースである。
国籍を持たないことを選んでいる人たちがいるのだ。例えば、東欧出身のあるアーティスト。
政治動乱を逃れてフランスにやってきた。フランス政府は国籍を与えると言っているのだが、そんなものは要らないと言う。
ある国家から命からがら逃げてきて、また別の国家に入りたいとは思わないのだろう。
国家というものはどうも信用できない、それが彼女の偽らざる実感なのだ。仕事でフランスから出る時は、一々役所で証書を書いてもらう。面倒ではあろうが、その面倒なことを一々してでも国籍など持ちたくないらしい。国籍を持たないことに近いのは、恐らく多くの国籍を持つことではないか。角を増やせば増やすほど図形が円に近づくのに似ている。
円で完璧をイメージしているわけではない。
完璧な自由なんて存在しないから。
ただ、国籍を持てば持つほど、可能性は広がるのだと思う。
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