ウディ・アレンの初期の映画に数多く出演し、私生活でもパートナーだったダイアン・キートンが、ツイッターでアレンを擁護しているそうだ。
彼女は、アレンは友達であり、友を信じ続けると書いている。
彼女が根拠としているのはアレン自身の1992年のインタビューである。
60分にわたるこのインタビューは信憑性があるというのが彼女の意見なのだろう。
汚名を着せられた友人の味方をするのは素晴らしいことだと言っていいだろう。
もしかすると、本当に彼女が信じる通りなのかもしれない。
が、今回何が真実かは別として、一般的には味方をするばかりが友情ではないとも言える。
友達が本当に悪いことをしたら、きっとものすごく悩むだろう。
校則を破っちゃったとか、未成年なのにタバコを吸っちゃったとか、学校をサボっちゃったとかいう話ではない。
本当に他人を傷つける犯罪の場合である。
もう友達じゃなくなるか、かくまうか。
あるいは自分が見たいものだけを見続けて、真実には目を覆うか。
いや、友達であり続けながら真実を見つめることもできるはずだ。
友人が罪を認めるのに付添い、罪を償うのを手伝うことも。
こう書くと、子どもが自首する時に親が付き添う場合が思い出される。
家族と友達は同じではないが、家族と同じくらいに、あるいはもっと強い絆で結ばれた友達もいる。
私たちは、親にばかり育てられるのではない。
友達にも、パートナーにも、そして子どもにも育てられる。
信じるばかりが能じゃない。
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