異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

カテゴリ: 海外ニュース

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フランスのあるパン屋さんが法律で定められているように週休を取らなかったということで、罰金3000ユーロを命じられた。

1ユーロ131円として393,000円。

このニュースに対して「なんかフランス的」という反応をする人もいるけれど、事情はそれほど単純ではない。

複雑な事情 その1)

フランスに旅行に行った皆さんは、カフェやレストランの休日をあまり気にしなかったのでは。

週休を取るレストランももちろんあるけど、毎日開けてるところも多い。

肉屋さん等にもそんなに厳しくはないそう。

つまりパン屋さん特有の法律だとわかる。

複雑な事情 その2)

このパン屋さんがあるのは住民数2000人というから、小さな町どころか村のようなところ。

毎年夏になると観光客が訪れるので、夏は例外的に稼げる季節。

例年夏に週休無しで営業する特別許可を貰っていたが、昨年はそれを更新することができなかった。

それでも店を開いていたため、今回の処置となった。

不思議なのはむしろ、なぜ今年だけ許可が貰えなかったのかということである。

フランスは少子化対策が比較的うまく行っていると言われているが、人口減少に苦しむ自治体もある。

ある村では最後のパン屋が引退してしまい、住民が変わりばんこにパン屋をやることにしたと言う。

夏のかき入れ時にできる限り稼がないと生き残れないパン屋もある。


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ダイナマイトの発明によって巨万の富を得たノーベル。

彼の兄が亡くなったとき、ノーベル自身がが亡くなったと勘違いした新聞は「死の商人、死す」と書き立てたという。

この時から、彼は自分が死後どのように記憶されるかということについて考えるようになったそうだ。

だから、ノーベル賞には平和賞がある。

ノーベルは文学が好きで、自分でも詩を書いていた。
外国語に堪能であったことから、趣味で文学を翻訳することもあったという。
文学も科学と同じように人類の発展に寄与すると信じたノーベルは、「理想的な方向性の」文学にも賞を授与するようにと書き残した。

ところで、戦後のヨーロッパの文学者たちは、廃墟から出発した点で日本と同じだが、「あんなことをしでかした人類に、これからも文学が可能なのか。」と問うたという。

「あの戦争」の後で、それ以前と同じ意識では書き続けられないことは明白だったのだ。

ノーベル文学賞を受賞した作家たちの名前を見ていると、「歴史的な視座」という言葉が浮かんでくる。

詩人、小説家、戯曲家、哲学者、そしてボブ・ディランという現代の吟遊詩人。
ジャンルは様々だし、スタイルも様々。
前衛的な作家もいればそうでない作家もいる。
共通点はもしかすると、文学的に優れていること+歴史的な視座を持って活動したことではないか。

「社会派」とは言えず、ごく個人的な作品を書いているように見えるモディアノにしても、あの戦争、記憶、曖昧なアイデンティティといったテーマが見え隠れする。

歴史そのものを作品に盛り込むか否かということではなく、歴史を見据える眼差しが感じられるかどうか。

そう考えると、村上春樹氏が受賞しない理由もわかる気がする。

では、しかと歴史を見据え、しかもフランス文学史に革命を起こしたデュラスのような作家はなぜ受賞しなかったのか。

ノーベル文学賞のもう一つの条件は、性そのものをテーマとしないことかもしれない。

小説に性的な描写はつきものだが、性そのものをテーマとしてきた作家は受賞していないように思える。

作家や芸術家は、賞を目指して活動するものではなく、ひたすら「自分の仕事」をするものだ。
その結果として賞を取ることもある。
賞がこういう傾向だからこういう風に書こうというものでもないだろう。

ノーベル賞は重みがある。
 選ぶ方も大変だろうと思う。

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ノーベル賞の季節が近づくと、毎年のように「今年は村上春樹が受賞するだろうか」ということが話題になる。

自分が好きな作家が世界最高の栄誉を受けたら嬉しい、という気持ちはもちろん多くの人が持っているだろう。

でも、それがそんなに大切なことなのだろうか。

ファンの評価はおそらく、ノーベル賞を受けようが受けまいが変わらないだろう。
ファンではない人で権威主義的な人なら、ノーベル賞を取ったということで評価を変える人もいるだろう。
村上春樹の文学を認めない人の中には、ノーベル賞を取ったからといって評価を変えない人も大勢いるだろう。

村上春樹の作品は、すでに多くの言語に翻訳され、世界中にファンがいる。

ノーベル文学賞を取ったから作品の質が上がるわけでもないし、取らないから下がるわけでもない。

過去の作家たちを振り返ってみれば、すばらしい作家でもノーベル賞を取らなかった人たちが多いことに気づくだろう。

トルーマン・カポーティもマルグリット・デュラスも取っていない。
なんと、ジェームズ・ジョイスも取っていない!
(最もジョイスの場合は、もう少し長生きすれば取っていただろうと思われる。
ノーベル賞は亡くなった人には授与されないから。)

一方、後から考えると「なんでこの人が取ったんだろう?」と思う作家もいる。

アメリカ人の友人で大変な読書家がいるが、彼は自国の劇作家、ユージン・オニールがなぜノーベル賞を取ったかわからないと言っていた。
「そりゃもちろん、いい作家だよ。でも、ノーベル賞かなぁ・・・」

2014年にフランスのパトリック・モディアノが受賞した時も、多くのフランス人の反応は
「えー、本当?!モディアノが!?」
というもので、
「フランス人が取って嬉しい。」
という人はいなかった。
まぁ、どこかにいたにはちがいないが、大方の反応ではなかった。

驚いた人々の全てがモディアノを評価していなかったというわけではない。
ノーベル賞を取るタイプの作家だとは思っていなかったということだろう。
モディアノにも熱烈なファンがいる。
この点で村上春樹に劣るわけではない。

ちなみに、モディアノはノーベル賞以前にフランスの芥川賞とも言うべきゴンクール賞を受賞しているが、ゴンクール賞とノーベル賞を共に受賞した最初の作家となった。

日本でも有名なアルベール・カミュはノーベル賞は受賞しているが、ゴンクール賞は受賞していない。

つまり、ゴンクール賞の基準とノーベル賞の基準は違うのだ。

ノーベル賞の審査が、好みとか気分で決められるはずはない。
ノーベル文学賞にはノーベル文学賞の、しっかりとした基準があるにちがいない。
そしてその基準は、昨年ボブ・ディランを選んで世間を驚かせた時も、しっかりと働いていたと思われる。

それはどんな基準だろう。


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マクロン大統領の新党が選挙で圧勝したとき、私はあることを思い出した。

2012年に社会党のオランド氏が選ばれたとき、フランス人のこんな意見を何度も聞いた。

「オランドの社会党政権がしっかりやらないと、次の選挙でまたサルコジが出てくるかもしれない。
社会党が失敗したら、今度こそ、誰もサルコジを止められないぞ。」

2007年に大統領になったサルコジ氏は、保守派の中でもかなり右寄り。
ヨーロッパ以外に出自を持つ移民に厳しかった。

その一方で、リビアの独裁者カダフィとの関係が取り沙汰されるなど、不誠実だという印象を持つ人が多かった。

ただ、彼の台頭は極右政党の勢いをそいだ。

移民に対して不満を持っている人々は、極右から「極」のつかない右派であるサルコジ氏に流れたのである。

2012年にサルコジ氏は再び出馬したが、決選投票の末、オランド氏に敗れたというわけだった。

今回の大統領選にはサルコジ氏は出てこなかった。
しかし極右政党のルペン氏が存在感を増した。

よく言われたことだが、ルペン氏を避けるためにマクロン氏に投票した「消極的な」支持者も多かったようだ。

にもかかわらず、マクロン氏の新政党が国民議会選で圧勝。
それは、新大統領に思う存分やらせないと、まずいことになるかもしれないという危機感の表れではないか。

もし今回マクロン大統領がしっかりやれなかったら、次の選挙でルペン氏の極右政党が勢いづいてしまうかもしれないから。

ただ、フランスにしては棄権が多かったということは、議席は過半数でも、過半数の国民の了解を得たということではない。



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