異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

カテゴリ:日本のニュースから > 大人

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現代の日本の警察の基礎はフランスに倣って作られたものだそうだ。

私はこれを司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』を読んで知った。

初代大警視となった川路利良はフランスに視察に行った際、大切なカバンを無くしてしまった。

もう見つかるまいと思っていたが、警察から連絡があって行ってみるとカバンが届けられていた。

中身を確かめるよう言われて見てみると、何も無くなっていなかった。

日本ではあり得ない!と川路はすっかり感心し、これから作られる日本の警察もこうでなくてはならないと思った…

確かこんな話だったと思う。

現代の私たちにとって、この話は何重にも驚きである。

当時は日本よりフランスの方が治安が良かったのか!

今日本の観光客がパリに行ってカメラを置き忘れたら、絶対に戻って来ないという印象がある。
(実際にはそれほどではないのだけど)

もう一つの驚きは、戦前戦中の恐ろしい警察のイメージとあまりにも違うことである。

とはいえ、『火垂るの墓』(アニメ版)に出て来る警察官は、飢えのあまり畑の作物を盗んだ少年に思いやりを見せている。

また、赤塚不二夫さんが子どもの頃、お父さんは満州で警察官をしていたと聞いたことがあるが、赤塚さんの初期の漫画には優しいお巡りさんが出て来る。

ということは、特高警察と一般の警察官は違うものだったということか。

それとも、優しいお巡りさんに別の顔があったのか。

いずれにせよ、「日本警察の父」の頭に最初に宿ったコンセプトは、市民に近いところで市民に奉仕する警察だったらしい。

それはまさに、私の幼い日の思い出の交番と重なる。 

冒頭の写真はパリの騎馬警官。
フランスでは今でも警官が馬に乗って業務に当たることがある。


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銃の発砲事件は日本では珍しい。

しかも凶器は交番の警官を殺害して盗んだものだった…

まるで、どこか他所の国で起きた事件みたい。

だが、日本だから起きた事件だとも言える。 

どこの国にでも交番と言うものがあり、おまわりさんが道を教えてくれるなどと思ってはいけない。

日本の交番には、誰もが入って行くことができる。

幼い頃、友達と遊んでいて十円玉を一つ拾った。

「十円玉だ。どうする?」
「道に落ちてるものは交番に届けるんだよ。」
「だよね。」 

というわけで、私は誰かの大切な10円玉を握りしめ、友達と一緒に駅前の交番まで行った。

すると若いお巡りさんは同僚と相談し、私たちに真面目な顔で5円づつくれた。

今思うと、彼らのポケットマネーだったに違いない。

将来の良き市民はこうして、落ちているものは正直に交番に届けるのだということを学んだ。

あの日突然刃物で襲われた警察官も、こんなお巡りさんだったかもしれない。
拳銃で襲われた小学校の警備員も、 こんな警備員さんだったかもしれない。
 

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ワールドカップの初戦で日本がコロンビアに勝つという快挙を成し遂げ、渋谷に集まっていた人々は沸き返った。

普段、東京では知らない者同士が声を掛け合うということは少ない。

「サッカー」という共通項で、見知らぬ人々が喜びを共にした。

これもスポーツの効用にちがいない。

普段の生活に戻れば、日本人が知らない者同士で声を掛けにくくなったのはいつからだろう。

都市部と小さな町、村でも違いがある。

ある若いフランス人の女の子が東京で生活した時の話だ。

彼女は東京が好きだったが、人と人との関係が疎遠だとも感じていた。

ある日、駅で転んでしまった。

大したケガをしたわけでもないが、とても寂しくなってしまったと言う。

誰も声を掛けてくれなかったからだ。

休暇でパリに戻った時、階段でちょっと躓いたら、周りから一斉に
「大丈夫ですか。」
と言われて安心したとか。

私も、パリで始終同じような光景を目にした。

パリのメトロでベビーカーを使っていた時は、いつも他の乗客に手伝ってもらったものだ。

フランスはドイツほどバリアフリーが進んでいない。

日本人はシャイだから、大ごとでない限り声を掛けられないのだろうか。

大災害でも発生しない限り、私たちは「助け合いの精神」を発揮できないのだろうか。

しかし、それでは説明がつかない。

十年以上前に、若い男性が駅のホームで死ぬまで殴られるという事件があったのを覚えているだろうか。

混み合う時間帯でホームに人が溢れていたのに、誰も関わり合いになろうとしなかったという事件である。

その時犯人は、銃もナタも持ってはいなかった。

自分のすぐ近くで一人の人が殺されていくのに、反応しない群衆。

私たちの社会は一体どうなってしまったのだろうと戦慄した人は少なくなかったのではないか。

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新幹線殺傷事件で思う連帯という言葉の意味

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(前回よりの続き)
新幹線殺傷事件を知って私が思い出した出来事とは、次のようなものだった。

知人のフランス人が東京を旅行していた時、ある駅の近くで一人の男が通りがかりの人たちに暴力を振るっているのを見た。

お年寄りや子どもを殴り、子どもは泣き出したと言う。

そのフランス人は日本語はあまりできないのだが、その男の肩を掴むと壁に押し付けた。

すると幸いなことに、男は大人しくなった。

ところで、その時フランス人が驚いていたのは事件そのものより周りの人の反応だったという。 

他にも大勢人は通ったのだが、誰も介入しなかった。
むしろ関わり合いになるのを避けているようだった。
自分が男に働きかけた時も、誰も加勢に来なかったというのである。

それは、今回新幹線の中で起こった凶悪事件とは比べものにならない、些細な出来事であった。

今回のように相手が素手ではなく、ナタを振り回している時に何ができるだろう。

それでも亡くなった梅田さんは、不断の信念に基づいて、恐らくとっさに行動したのではないか。

女性が一人で殺されてしまった、誰も助けようとせずに、という結末にはならなかった。

関わり合いになった人がいたから。

そしてその人は犠牲になってしまった。 

一人で。


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新幹線殺傷事件で思う連帯という言葉の意味

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フランス語や英語でよく使われる言葉で日本人があまり使わないものの一つに、「連帯」がある。

日本語で連帯と言うと左翼活動家みたいになってしまうのだが、フランスなどでは政治的な意味に限らず色々な場面で使われる言葉だ。

「連帯」、英語でsolidarityフランス語でsolidarite (最後のeの上には何か付きますが、文字化けする恐れがあるのでここでは省きます)。

日本語では「団結」と訳されることも多いが、「団結」では合わないことも多い。

日本語で強いて説明すれば、困っている人への共感とか、窮地に陥った人の立場に立って、自分のこととして考え、行動しようとする意識と言えるだろう。

日常的な場面で使われる場合は、「助け合いの精神」が近い。

だが、「助け合い」では困ることもある。

例えば、難民を受け入れる時やテロが起こった時だ。

「テロの犠牲者とのsolidarite」を訳そうとすると、助け合いでもおかしいし団結も違う。

最近よく使われる「つながる」 という動詞が合っている。

なぜこんな話を長々とするかというと、フランス人の知人が東京を訪れた時の出来事を思い出したからだ。

新幹線で突然男がナタを振り回し、 切りつけられた女性を助けようと立ち向かった男性が一人で殺されてしまったというニュースを聞いた時に。
(つづく) 

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