異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

カテゴリ: アート

movie-clapper-2140602_640gyakko


前にも書いたが、ミア・ファローは1980年代にウディ・アレンと出会う前から女優として高い評価を得ていた。

ウディ・アレン監督にスターにしていただいたわけではない。

1960年代の終わりから70年代にかけて、『ローズマリーの赤ちゃん』『ジョンとメリー』『華麗なるギャッツビー』などの話題作に出演。
忘れ得ない印象を残している。
舞台女優としても活躍している。

ウディ・アレンと一緒に仕事をするようになってからも、ある時はコミカルな美女、ある時は色気ゼロの女、ある時はおバカ、またある時は誠実な精神科医と、演技力を発揮した。
役柄の幅は広いが、器用という感じはしない。
何でも徹底的にやるので、つい引き込まれる。
シリアスな『セプテンバー』で感情を爆発させる時など、心を踏みつぶされた少女のように見え、胸を突かれる。
全ての役柄で説得力があるのはさすが。

アレンはさぞかし重宝したことだろう。 

が、彼女の作品として私が一番好きなのは、 1972年の『フォローミー』という小品である。
堂々たる名作でもないし、話題作でもない。
佳品というのが相応しい一粒の真珠のような作品。

元々は舞台作品で『パブリックアイ』というタイトルだったらしい。

監督は『第三の男』や『堕ちた偶像』で知られるキャロル・リード。
『第三の男』で音楽が印象的だったように、『フォローミー』の音楽も耳に残る。

共演は『屋根の上のバイオリン弾き』のトポルで、とてもいい味を出している。

以前の記事で、ウディ・アレンは若い女性に色々教え込むのが大好きなんだろうと書いた。
奇しくもこの映画のヒロインは、夫が先生ぶるのにウンザリしてしまった女性。 

愛に溢れたエンディングで心が暖まる。  

これからも、作品に恵まれてほしい。


<スポンサーリンク>
映画・海外ドラマが見放題【スターチャンネル インターネットTV】


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

eagle-sepia

空間に放たれた一本の矢。

金子兜太さんの俳句はそんな感じだった。

その矢はぐぁっと感覚を広げる。
世界を広げる。

たくさんのお仕事に感謝。

これからの俳句はどこへ。
これからの憲法はどこへ。

 

tear-woman-1006102_640

「教養」という言葉は私の中で、「ひけらかす」という言葉と対になっていた。
なんだかあまり重要なものだとは思えなかったのだ。
私だけではなく多くの人が、「教養」をひらひらした飾りもののように思っているのではないか。

しかしそれは、あの事件が起きるまでの話だった。
ツイッターに「死にたい」と書き込んだ人たちが詐欺師につけ入られ、殺されてしまったというあの事件。

死を考えることが、人間にはあるのだと思う。
ツイッターに書き込みをする人たちの中には、本当に死のうと思っているわけではない人たちも多いと聞いた。
誰かにわかってもらいたい、助けてもらいたいという気持ちで発信することもあるだろう。
思いの切実さはそれぞれだとしても、死を考えることが、人間にはあるのだろう。

ただ、死を考えたとき、何をするかは人それぞれである。
ツイッターに書き込む人もいれば、書き込まない人もいる。
書き込んだだけですっきりするのなら、それはそれでいいだろう。

書き込まない人の中には、何でも話せる人が身近にいるという、おそろしく恵まれた人もいるにちがいない。

そんなに恵まれてはいないが、自分がしっかりと掴まることのできる何かを持っている人もいる。

音楽によって力を得る人は多い。
ある人にとってはそれは詩かもしれないし、絵や彫刻かもしれない。
自分で創る人もいれば、鑑賞することによって体験する人もいる。

文学者や芸術家に自殺者が多いのは周知の事実だ。
あまりにも感覚が研ぎ澄まされていて繊細だから人生が耐え難くなるという場合もあるだろう。
あまりにも深いところまで追求し、掘り下げていくから、死に近づいてしまうということもあるかもしれない。

だからそんなものは役に立たないという意見もあるかもしれない。
しかしだからこそ、アーティストや文学者には、自殺したい人の気持ちがよくわかるということにもなる。
彼らは、「死にたい」と思った道を通りながら、一生懸命生きた人たち(または生きている人たち)だ。
たとえ最後に自殺してしまったとしても、死ぬまでは生き、作品を残した人たちである。

その作品に触れることは、彼らと語り合うことだ。
身近にわかってくれる人が一人もいなくても、自分をわかってくれる人を持つことである。

映画『エレファントマン』の中で、見世物になっているエレファントマンが、一冊の本を覚えるまで読んでいるという設定があった。
彼は獣のように檻の中に閉じ込められながら、毎日シェークスピアの言葉を呟いていたのである。
希望のない生活の中で、シェークスピアの言葉に掴まって生きていた。

もちろん、シェークスピアじゃなくていい。
自分を助けてくれるものが何なのかは、人によって違うのだから。

しっかりと掴まることのできる言葉や、音楽や、色彩やフォルムを持っている人は幸いだ。

もし教養という言葉の意味が、私たちを助けてくれる作品がこの世界にあると知っていること、だとしたら。
教養は私たちを守ってくれるものだと言える。

文学者や芸術家、童話作家、ミュージシャン、マンガ家たちが、命を懸けて残していってくれた作品。
私たちはそこから力を得て、もう少しばかり生きてみてもいいのではないか。

あるダンサーにこんな話を聞いたことがある。
講演後、年配の見知らぬ女性が楽屋を訪ねてきて言ったそうだ。
「あなたの踊りを見て、もう3日、生きる勇気を与えられました。」

もう少しばかり生きてみる間に、私たち自身も、何か良いものを世界に残すことができるかもしれない。
人は、一日、一日を生きることしかできないのだから。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

bl_gogh_saint-paul-1023500_640

機会があるごとにゴッホとゴーギャンの絵を見てきて、だんだんと絵そのものを見られるようになってきたと思います。


そして今回の展覧会では、

「なんて美しい」

「なんてすばらしい」

という言葉しか殆ど出てきませんでした。


ずいぶんと前のことですが、オルセーでゴッホやゴーギャン、そして彼らに続いた画家たちの絵を見た時にある疑問を感じました。


跡を追った画家たちの絵も確かに美しかったけれど、「きれいなだけ」と感じてしまうものが多かったのです。


確かに似たようなテクニックを使ってはいるのですが。


この違いは何なんだろうとずっと考えていて。


哲学があるかないかの違いだと言えば確かにそうなのでしょうし、気持ちがこもってないとか言ってしまえば簡単なのですがね。


一つには、元祖がその描き方や色彩の使い方をした時それは冒険だったけれど、習った者が同じことをすれば、それは安全な道にすぎないということでしょうか。


安全な道をたどる筆と冒険している筆は自ずから異なる、と。


もし私があの時代に生きていた人間だったら。

今のように、彼らの作品を美しいと思えるでしょうか。


それとも、ショックを受けるでしょうか。

悪趣味だと思うでしょうか。


彼らの絵があったから、人々の眼は拓かれたのでしょう。

最初はショックを受ける人が多かった。

けれども専門家たちが高く評価し、一般の人々の眼にも触れるようになっていった。

新しい美学として紹介されていった。

影響を受ける人々が出てきた。

その人たちを介して、新しい美学はますます広がっていった・・・

デザインの分野にまで。


その頃、無論彼らはとうの昔にこの世を去っていたのだけれど。


今私たちが彼らの絵を掛け値なしに美しいと感じられるのは、時間をかけて、人々の眼が拓かれていったからでは。


bl_gogh_rohotu-1340173_640

bl_gogh_bridge-595614_640

「ゴッホとゴーギャン展」を見に行った日の朝のことでした。


出かける前に何の気なしに見ていたニュースで、ジョン・レノンがポール・マッカートニーに宛てて書いた手紙の下書きが落札されたという話がありました。


その手紙は、最後のアルバム「Let it be」を作っていた時に書かれたものだとのこと。


解散の直前ですね。

bl_gogh_sun-flower-915626_640
 


展覧会場で目にしたのは、大きく異なる個性を持ちながら同じ時代の空気を呼吸していたゴッホとゴーギャンの絵。

後期印象派を同時に開拓していた二人の絵筆の冒険の跡。


アルルでの共同生活は、ゴッホが自ら耳を切断するという悲劇で終わりました。


「ゴッホ」「ゴーギャン」という言葉で検索を掛けると、1ページ目に並んでいるのは圧倒的に耳のこと。


でも、会場に展示されている画家の言葉は、この共同生活が実り多いものでもあったことを示しています。


二人が見てほしかったのは、耳ではなく絵ですよね。


 

bl_gogh_cafe-457634_640



私はいつか読んだレノンの言葉を思い出していました。


「ぼくは生涯で二人のパートナーを得た。ポール、そしてヨーコだ。悪くないだろ?」


二人の創作家が火花を散らすとき、そこからは世にも美しいものが生まれてきます。


火花は時に爆発に至るけど、後に続く人たちに影響を与えずにはおかないものですね。


レノンの手紙にあるように、全てのアーティストに影響を与えることなどあるはずもないけれど。


(冒頭の写真、ゴッホが描いたアルルの跳ね橋は復元されているようです。)



このページのトップヘ