異文化ガイド

異文化について、英語、フランス語について書いています。フランス、ベルギーで15年以上暮らし、出会った人、見聞きしたこと、考えたこと。

カテゴリ: 子育て

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フランスに住んでいた頃、夏休みに家族連れで日本に来たこともありました。


今から十年くらい前、大きな水族館に子どもを連れて行ったときの出来事です。

入り口に入ったら、いきなり知らない女性に勝手に写真を撮られました。

その若い女性は派手なコスチュームを着ていて、水族館に雇われているということがわかりました。

で、今の写真は出口に張り出される、買うか買わないかは自由だ、と。


ちょっと待ってください。

子どもも写っているんです。

「買わない場合はどうなるのですか。」と聞くと、廃棄するとのことでした。


水族館自体はいろいろ工夫していてそれなりに楽しかったのですが、今となって覚えているのは主にその写真のこと。


フランス人の夫は怒るかもしれない、と思いましたが、仕方ないと思っている様子でした。


出口に来ると、他の家族の写真と一緒に私たちの写真もありました。

もし私の両親が一緒だったら、きっと買ったことでしょう。

両親は当時すでに高齢で、大きな水族館には一緒に来ませんでした。


子どもが写っている写真がそのまま捨てられるのを思うと胸が痛みました。

そもそも、本当に捨ててくれるかどうか証拠もありません。

心配だから買ってしまうという人も多いと思います。


デジタル写真ではなく、ポラロイドみたいなものだったと思います。

つまり、ネガは無いということだったか。


余計なものにお金を払わない夫が買うはずはありませんでした。

押し売りをされて私もさすがに嫌な気分でした。


個人情報ということに今ほど人が神経質ではない時代でした。まさか今でもやっているとは思いませんが。


近所のお家に行ったら、同じ水族館の家族写真が飾ってありました。お孫さんがいる方で、まだお若いので一緒に行ったのですね。祖父母が一緒だったらきっと買ってしまうでしょう。


チケットも高かったし、売店もあったけれど、それでは足りないということなのかな。


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高校受験で推薦を取るためには、もちろん中学校の成績表が良くな
くてはならない。
「良い」の基準は当然学校によって違う。

偏差値の高い高校なら、ほぼオール5(10段階評価ならオール10)という数字が要求される。
ただ、英検や漢検、部活などで補うことも出来るので、学校の成績だけで足りなくても条件をクリアする道はある。

偏差値がそこまで高くない高校なら、5が無くても条件をクリアできる。
しかし、合計点だけで決まるわけではない。
東京都の多くの私立高校では、2以下が一つでもあったら合計点が基準に達していても推薦は受けられない。

一方、5が最低一つは必要だとか、5に関する条件は見たことがない。

つまり、オール3の生徒の方が、5が二つで2が一つの生徒よりもチャンスがあるということである。

全てをそつなくこなすという人材も社会には確かに必要なのかもしれない。
しかし、そのような人々ばかりが優遇されるようになったら、その社会は衰えるだろう。

5があったら1があっても相殺されるとか、何でもいいから5が一つ以上ある子が欲しい、という高校が見当たらないのはなぜだろう?
高校によってもっと特色があっていいはずだ。
うちは理系で5がある子を求む、とか、うちは芸術科目で5が一つあれば良い、とか、うちは文系、うちは体育、などなど。

理系の高校では、理系科目の成績は2倍にして計算するというところも実際にあるようだが、理系に二つ5があれば他の成績は見ない、というわけではないらしい。

専門バカになってはいけないけれど、まだ15歳である。
何か突出したものを持っている生徒を集めて育てる、という考えの高校が一つ二つあってもいいではないか

少子化の時代、生徒を集めるのに苦労しているところも少なくない。
学校の特色が顕著なら全国から生徒が集まる可能性もある。
うちの子を生かしてくれるのはこの学校しかない、と思った親は引っ越しも厭わないだろう。


「個性を尊重する」と謳っている学校が、2のある子は5がいくつあってもダメだという理由がわからない。
さっぱり。


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夏休みといえば、海、山、おじいちゃん、おばあちゃんの季節だが、塾の夏期講習の季節でもある。


これからお盆で、夏期講習も一息つく塾が多いようだ。


複数の塾で講師をした経験があり、数多の受験生を合格に導いた友人に先日愚痴を聞かされた。


塾をどうやって選んだらいいか迷っている方や、これから塾で教えたいと思っている方にも参考になりそうな話だった。


難関校狙い専門の塾もあれば、いわゆる補習塾もある。

一クラスの人数が多い塾もあれば、少ない塾もある。

しかし、塾選びのポイントは、そうした外から見て分かることだけではないと言う。


校風があるように、塾にも塾風があると彼女は言う。

勉強を教えるだけではなく、生徒と良いコミュニケーションを取る必要がある。
そこまではどの塾でも同じだが、良いコミュニケーションの意味が塾によって異なるそうだ。

同じ系列の塾でも、居住区域によって雰囲気が変わることも多いらしい。


ある塾では、教師と生徒は親しくてもケジメがあることが良いコミュニケーションだし、別の塾では教師と生徒が馴れ合っているのが究極の良いコミュニケーションとされる。


ある塾の子どもたちは教師がダジャレを言うと白けるが、別の塾では歓迎される。


真剣に勉強する子を育てようとしている塾もあれば、サービス業だからとにかく笑いを取らなくては!という塾もある。


「楽しく勉強する」の「楽しく」にも色々あるということ。

ところが、講師が研修の段階で言われることに、さほどの違いはないそうだ。


だから、講師としては入ってみないと分からないということになる。


生徒と保護者の立場だと、体験入塾ができればいいが、そうでない場合は信頼できる人に聞いてみるしかない。

子どもが満足していても、なぜ満足しているか確かめる必要があるし、逆に不満だとしても、問題があるからだとは限らない。


塾風が合う合わないは人によって違うので、良いか悪いかではなく、教師と生徒の関係がどんな感じかを確かめた方がいいだろう。

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中学生のわが子のカバンを持ち上げて、あまりの重さにびっくり!
そんな経験はありませんか?
小学生のランドセルもしかり、です。

私は1960年代の生まれですが、教科書はもっと小さくて紙も薄く、カラー写真なんて入ってなかったと記憶しています。

当時は、一年の学習内容が上下巻に分かれている教科も多く、一度に運ばなければならない重量はさほどではありませんでした。

たまたま上巻の終わりに来て、先生に上巻と下巻を持ってくるように言われたときなど、重いなと感じたのを覚えています。

教科書が立派で重くなった分、子どもの頭の中に入る量も多くなるならいいのですが。

こんな話を従兄にしていたら、
「ぼくはカバンすごく軽かったな。教科書は全部学校に置きっぱなしだったから。」

ちなみに、彼はいわゆる有名大学を出ています。

几帳面にちまちま勉強しても、あまり能率は上がらないということか。。。

本題に戻りましょう。
子どものカバンの重さです。

この問題、日本だけではありません。
子どもがフランスで小学校に通い始めたときも、教科書の立派さとカバンの重さがショックでした。

実はフランスではもう何年も前から問題になっていて、専門医は子どもの背骨に与える悪影響について警鐘をならしています。
ノートも日本の子どもたちが使っているのより大きく、重いので、成長期の子どもにはかなりの負担です。

 医師から批判されるに至って、その日に使わない教科書やノートを家に置いてくるよう指導する学校もありますが、忘れ物をするとこっぴどく叱られるので、全部持っていくという子も少なくありません。

フランスでは使い終えた教科書は返却し、次の学年にバトンタッチするのが普通です。
そのため、汚さないようにカバーを付けて使います。

日本では教科書は何年も使うものではないし、もっと薄い紙でもいいのではないでしょうか。
その上で大事に使うことにしては。
(手を付けないで学校に置きっぱなしにしたりして?・・・と、これは冗談です)

教科書が立派でツルツルしているから学習意欲が湧くというものでもないと思いますが。 

日本のお医者さんのご意見はいかがでしょう? 
彼らが成長途中だということを、忘れないで。

昨日の勤労感謝の日は、上野の東京都立美術館へゴッホとゴーギャン展を見に行きました。

ところで、美術館側から見た上野動物園の塀はなかなか素敵なデザインですね。

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都立美術館は中学生まで入場無料。
そういえば、上野動物園に行った時も都内の小中学生は無料でした。

悪くない、と思いつつ、 子どもの貧困についてのニュースを思い出していました。
あの子たちが少しでも楽になるなら、みんな喜んで美術館や動物園で少しばかりのお金を払うだろう・・・

もちろん、有料にした場合、そのお金が他のことに使われていないことをちゃんと見せてもらう必要があります。

その辺があまりクリアーに見えないので、やっぱり今のところ、無料なものは無料なままにしておいてほしいな。
他に減らせるものはあるんだろうし。

親の代で貧乏だとしても、希望が見えればなんとかなるという面もあります。
ただ、格差があまりにも広がると、代々貧乏ということになりやすい。
日本だけではなく私が住んでいたフランスでも、格差は深刻になってきています。
高等教育を受ける子の親は、やはり高等教育を受けていた場合がほとんど。
逆もまたしかりです。
アメリカでも金持ちは代々金持ちで、貧乏人は代々貧乏だというケースが多くなっているそうです・・・

希望が具体的に見えない。

例えば、一生懸命勉強すれば将来良い地位に着けるとわかっていて、必要な教育を受ける機会に恵まれていれば、希望があります。

最初から機会に恵まれていなければ、「どうせやってもだめ」という絶望感を持つ人が増えてしまう。

社会の中には不満が広がるでしょう。
犯罪も増えるでしょう。

一生懸命やれば自分たちの将来が変わるかもしれないという具体的な希望。
漠然とした根拠の無い希望ではなく。
ものすごく運に恵まれた場合だけ成功するという希望ではなく。

格差を縮め、全ての子どもたちが真っ当な生活を送れるようにすること。
高等教育を受けられるようにすること。
それは当人たちだけではなく、社会全体にとっての急務では。

「ゴッホとゴーギャン展」の入り口で、そんなことを考えていました・・・

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