欧州サッカーで優勝を逃したイングランド代表にあまりにも酷い言葉が投げつけられ、イギリス首相は差別を非難。外国人労働者に厳しいジョンソン首相でさえ差別は許さないということですね。
ロンドン警察も動き出し、世界の話題は優勝したイタリアよりむしろイギリスのサッカーファンへ。
ボーダーラインの悪ふざけどころか、人間的に最低な、明らかに逸脱した言葉の暴力。
さて、デンべレ、グリーズマンのビデオに関する最初の記事で、私は「コナミがグリーズマンとの契約を切ったのは当然」だと書きました。
「ゲームをするグリーズマン」の印象は地に落ち、アンバサダーなんてあり得ません。
では、どこまで、いつまで彼らを責めればいいのかと言えば、アンバサダー解任あたりで十分じゃないか。
なぜか。ちょっとフランスの状況を話しましょう。
私は最初にフランスで暮らし始めたころ、学者さんやアーティストぐらいしか親しい友人はいませんでした。彼らから差別的なほのめかしを受けたことはありません。
もちろん、世の中には極右的な「学者」や教養はないが素晴らしい作品を作るアーティストもいます。単に私の周りにはそういう人はいなかったということですね。もっと精神が開けている人たちばかりだったのです。
しかしその後、縁あって(?)、まったく違う世界のフランス人たちと親しくなりました。おかげさまで(?)差別のニュアンスがわかるようになったことは、前記事で書いた通りです。
フランスの格差って、お金だけじゃないんです。
知識とか教育とか教養とか、持ってない人は全部持ってないんです。
そして、教育とか教養を持っている人たちの中には、「持たざる者」を差別する人もいます。
デンべレやグリーズマンは、今やサッカーでこそ世界のトップクラスですが、それ以外では、悪態をついてつかれて転びながらボールを追っていた子ども時代と変わらないのかもしれません。
「フランス人は先に謝らない」という解説をした人もいるようですが、教養のある人なら状況を理解し、もう少しマシな謝罪をしていたでしょう。
グリーズマンは過去に「ブラックフェイス」問題を起こしたこともあり、その時は自分は不器用だが差別の意図はなかったと言っています。
その一方で、中国政府によるウィグル人弾圧に抗議してHuaweiとの高額契約を蹴り、賞賛を受けています。
不器用。
だけど、心が無いわけじゃない。
国際的なスターとなり、多くの人に影響を及ぼす立場となった今、「不器用」じゃすまないということを、彼らはわかっていないのです。
「親の教育」を嘆く人もいますが、多くのサッカー選手のように若くして親の手を離れてからは、所属クラブが教育するべきでしょう。
差別された側としても、こう言って教育してあげるべきじゃないか。
「ゼロから世界トップの座に登りつめた、あなた方の努力と才能に敬意を表します。
迷惑をかけたホテルのスタッフに誠意ある謝罪をしてください。
そして、今後はプライベートでも世界中の子どもたちの模範となる言動を心がけてください。
あなた方のご活躍を今後も楽しみにしていますよ。」と。
度を越した罰は恨みを買うもの。
彼らに対して大きすぎる罰を求めたら、世界からこう思われるのがオチでしょう。
「あいつら、ちょっと突っつくとすぐカッカする。本当は自信なんてないんだな。」と。
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